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母に男になるとカミングアウトした時の話 | LIFE JOURNEY

2024.02.14

母に男になるとカミングアウトした時の話

去年、秋ごろに、京都で一緒にランチにしようと、
奈良の実家に住んでいる73歳の母に声をかけたら、

エスカレーター移動じゃないと動けないくらい、
足が弱っててるのを目の当たりにして、少なからず動揺した。

ついに、後部座席が定位置の私が(世界平和のため)、
6年ぶりに車の運転をする時が来たかと覚悟を決めたら、

この年始は大仏を見に、猿沢池や奈良公園、
春日大社までを1万歩以上、歩いたよと、

さらっと、言ってのけた母に、

「歩けるんかい!?」と、

思わず、全力で突っ込みそうになった😆!!

#なんやそれ

今では仲良しな母と私だけど、
昔からこうだったわけでもなく。

思い切って、
母にカミングアウトしたのは、私が、27歳の時。

当時、ニュージーランドで生まれて始めてできた、
パートナーAちゃんとの結婚を考え始めたタイミングだった。

1番話したくて、
誰よりもわかって欲しい相手だった母。

だけど、それ以上に、
受け入れてもらえなかった時のことが想像がつかなくて、
怖くて、不安で、なかなか伝える勇気が出なくて。

いっそ、何も無かったことにして、
私だけ我慢して、結婚して孫を産んで、

幸せそうに過ごしさえすれば、
誰も困らせないのでは?
なんて、何度も何度も考えた。

女性として生きる。

物心ついた3歳くらいから、
持ってきた女性としての違和感。

なんとか、誤魔化しごまかし、
女性として生きていた。

頑張り続けたら、できそうな気もしたし、
何より、私がカミングアウトをすることで、

両親の期待に応えられなかったり、
がっかりさせたく無かった。

だけど、体は、

思った以上に正直で。

自分の内側が常に「違う、違う。嫌だ。」って、
叫んでいて、それは、すでに体中に出てきていた。

ストレスが溜まってくると、
身体中に発疹や帯状疱疹が現れる。

手先指先に水脹れ(汗疱)ができて、
痛痒くて掻きむしっていたら、

朝起きたら、
布団のシーツが血まみれになっていたことも。

ほぼ全部の指を、

ガーゼと包帯でぐるぐる巻きに覆って、
それでもパンパンに腫れた指の裂け目から、

膿が溢れ出して、
すぐに包帯がしっとりと黄色に変わる。

今、考えるとホラーみたいなことが日常だった。

今は、10年以上、 
全く症状が出てないから、
振り返ると本当の自分の気持ちが言えなかったことが、
よっぽどストレスだったんだと気づく。

ニュージーランドにワークビザで滞在中に、
母にカミングアウトしようと電話した。

時間は、仕事のお昼休みが終わる10分前。

「出なかったらいいのに」なんて思いながら、
あっさりと母は電話に出てくれた。

思いのほか、嬉しそうな声に、罪悪感。

言わない方がいいのかも、
知らない方が、母は、幸せなのかもしれない。

そう思ったけど、思い切って伝えたことは、

・女性から男性になりたいと幼少期から思っていた
・お付き合いしている女性がいて、結婚を考えている。
 そのために、性別適合手術を受けようと思っていること

しばらく沈黙が続いて、

その後、出た言葉は、 

「そうじゃないかと思った。」

小さい頃から、男の子っぽい遊びをする私を、
見守ってくれていた、母らしい言葉だと感じた。

その後に続いた言葉は、
私のことを1番に考えてくれる言葉だった。

「お兄ちゃんと、

妹にはお母さんから言っておくね。」

「お父さんは、

もう少しタイミングみてからにしようか。」

#結局父に伝えたのはこの5年後

私は、母に理解してもらえたことが嬉しくて、
27年間、バレないように隠し続けてきた秘密を、

やっと伝えることができて、ホッとして、舞い上がってた。
すごく気持ちは楽になって、

これから、

男性に戻ることを考えてワクワクした。

だけど、母からしたら、

いきなり、
よくわからないLGBTのことを聞かされて、

もしかして、混乱していたり、
母も身近に相談相手がいなくて、

辛い時期を過ごさせてしまった 
かもしれないなって今は思う。

約3年後に、
日本に完全帰国した時には、

喜んで迎えてくれて、
これっていって、渡してくれたもの。

それは、カミングアウトしてから3年間で、

集めてくれた、
23枚のLGBTの新聞や雑誌の切り抜き。

日本にいない間にも、
母なりに、私のことを思って、

LGBTや性の多様性のことを調べて、
いろんな資料に目を通して、
知ろうとして記事を取っておいてくれたんだって、

思ったら、嬉しいのと申し訳ないのとで、

「お母さん、ごめんな。」って泣いてた。

「ありがとうやろ!」って、返されて、

母の方が、
しっかりしてて、母は強いなって改めて思った。

結局、一緒に泣いたけど笑

母も誰にも相談できなくて、
父にも言えなくて、
人で不安だったんじゃないかと思う。

昔は、なんでこんな体に生まれたんだろうって、
自分の体を呪ってばかりいたけど、

今は、この身体で生まれたからこそ、
出会えた人がたくさんいるし、

できたことがたくさんあるって、
感謝できるようになった。

知ることは愛のはじまり。

世代間の価値観の違いや、
その時々の、常識の違いから、

無意識の偏見で相手を、
自分の正義で否定してしまうことがある。

もちろん、親子とはいえ、
違う人間だから、分かり合えない時もある。

だけど、

LGBTや性の多様性の知識や、
当事者の経験談を聞くことで、

すぐにはわからないとしても、
理解しようと、気持ちに寄り添えることはある。

LGBTQ当事者の子どもが、
自分は自分でいいと思えるように、

カミングアウトを聞く
お母さんやお父さん、保護者の方々が、

少しでも知っていてくれたら、

お互いに気持ちを伝えて、
受け止めやすくなるって信じている。

だから、今日も伝える。

ちなみに、
カミングアウトをしてから、母に言われた言葉。

「ずっと壁を感じてわからなかった、

あなたのことが、

ずっと近く感じることができて嬉しい。」

母が、自分の味方でいてくれたことで、

どんな自分でもいいと思えたし、
逆に両親に理想の親を求めていた私も、
何も求めずに生きていてくれたらいいって思えるようになった。

自分として、
生きられるようになってから、10年。

この身体に生まれた意味や目的を、
人生の中で使命として果たして命を使っていきます。

ありがとうございました。

必要な方に届きますように😊🏳️‍🌈