2017 07 11

AMERICA

Interveiw


「何歳からでも自分に戻れる」Eva-Genevieve! 51歳のカミングアウト、そしてその歩みは続いていく

 

Eva-Genevieve! /エヴァ・ジャンヴィエーヴ!

1954年、アイダホ州生まれ、62歳

アメリカ、イリノイ州ネイパービルでフリーランスの写真家、Meet upグループのオーガナイザーをしているEva-Genevieve!。

たくさんのユーモアを交えて自身を語る彼女の笑顔からは、この人生を選んだ後悔は感じられない潔さがあった。約50年偽りの自分を生きてきた経験から、彼女は今、何を考えどんな未来を描いているのか?「Live your truth〜真実を生きよ」彼女が今、考える、生き方に迫る。

 

アメリカ、アイダホ州 著作者: lorenkerns ライセンス:クリエイティブ・コモンズ表示

  小さい頃は、どんな子どもでしたか?

「アメリカ、アイダホ州で生まれました。 兄と私の2人兄弟で、南カリフォルニアで育ちました。初めて自分の内面の性を自覚したのは、8〜9歳の頃です。隠れて母親の服を身につけていたのを父親に見つかってしまい、『このまま続けるのであれば精神科に連れて行かなければならない』と言われました。60年代米ソ冷戦のさなか、宇宙産業に従事していた父は、『このことが知れると自分の仕事にも影響する』と言っていたのを覚えています。

  それ以来、『トッツィー』などの映画のヒットを横目に『他の男の子と同じように振舞わなければならない』と、自分自身を深く隠すようになりました。」

 

※映画「トッツィー」 あらすじ

40歳になろうかという俳優のマイケル・ドーシーは、その完璧主義が災いして周りと上手くいかず、どこからも雇ってもらえなくなってしまう。4ヶ月仕事がなかったある日、演劇の生徒サンディが病院を舞台にした昼ドラのオーディションを受けるというのでついて行くが、サンディは落とされてしまう。翌日マイケルは女装し、"ドロシー・マイケルズ" としてそのオーディションに受かってしまう。

最初はお金のための一時的な仕事と割り切っていたマイケルだが、彼が演じたタフな病院経営者役が受け、長期の契約を結び、色々な雑誌の表紙を飾るなど、一躍スターとなってしまう。(参考:Wikipedia)

    「10〜12歳の頃、毎夏過ごしていた祖父の書斎にあった本で『トランスジェンダー・マン』という言葉を知りました。トランスジェンダーについての詳しい記述があり、自分自身の経験とも重なる部分がたくさんあったのが衝撃でした。」

Evaが17歳で大学に入学するのと同じ時期に両親がニュージャージーに転居した。父親は原子力関係の仕事をしていて、その後イリノイ州の国立アルゴンヌ研究所に赴任、分光器のセンターの副所長を務めるなど、非常に優秀な人物であった。

彼女によれば兄は天才、彼女自身もIQは140あったが、注意欠陥障害があり、一つのことに集中できない子どもだった。後に、これは抑圧された子ども時代の影響ではないかと考えるようになった。

  どんなお仕事をはじめられたのですか?

「学校では音楽(フレンチホルン)を専攻していたのですが、競争が激しく自分が音楽家や教師になることはないと、別の道を選びました。

電子回路の基板の会社に勤め、基板のデザインの仕事をはじめました。カリフォルニアではfundamentalist(プロテスタントの保守的な根本主義、原理主義)の教会に所属して、教会での教えが自分の行動を矯正してくれるのではという思いもありました。でも、自分の中では何も変わりませんでした。」

その後、父親が肺がんを患い1995年に死去。結局、父にEva自身のセクシュアリティについて伝える機会は永遠に失われてしまった。

    そして、Evaは男性として女性と結婚して、2人の息子を授かった。

「マリッジ・カウンセリングの時に、私の事を良く知っている牧師が新婦に私のセクシュアリティについて問題はないかと尋ねました。彼女は『問題ない』と答えたそうです。しかしこの結婚生活は私にとって大きなストレスとプレッシャーをもたらし、結局1997年に離婚しました。」

電子基板の分野で独立・起業したが、2001年の9・11以来業界にも厳しいセキュリティの規制が敷かれ、2003年には仕事がなくなってしまう(その年の収入はわずか3000ドル)

※ 日本円でおよそ32万1000円(2003年12月1ドル=約107円で計算)

  公私ともにうまく行かず、人生の中でも辛い時期だった。

  「前妻とは、ある時電話で非常に不快なことを言われて関係を絶って以来、音信不通となり、2人の息子を通して様子を知るだけの関係になりました。精神的に非常に混乱し、失業して生活も立ち行かず、90年代の終わり頃から2004年ごろにかけて、薬物使用を繰り返すようになってしまいました。」

  どん底から一筋の希望をたぐり寄せる

Evaの大きな転機となったのは2006年3月。自分の体と内面の性の不一致は、神による間違いでも罰でもなく、「神が愛を持って自分に与えたもの」だと悟り、目覚めた。

「まずは人付き合いを見直すと共に薬物を断ち切りたいと思いました。生活保護を申請し、11ヶ月給付金を受けとりながらカリフォルニア州リバーサイドにアパートを借りて、新しい生活を始めました。

自己診断で、インターネットで英国の会社から女性ホルモン剤を入手し、4月24日から3ヶ月間投薬を続けました。2週間で心身ともに著しい改善が見られ、薬物も断ち切ることができました。フードバンクでもオーガニックの野菜を受け取り、体の中から健康になっていくのを感じました。」

  最初のホルモン剤は3ヶ月分で50ドル以上かかったが、1年後医師の診察を受け処方されるようになると、これらは医療保険により無料になった。ホルモン投薬を開始した3ヶ月後の7月24日、名前を変えてカミングアウトする。オープンにしたことをきっかけに自由に好きな装いを楽しめるようになり、夢中になる。近所では fashion guru (おしゃれ番長)の異名を取るまでに。

  51歳のカミングアウト

2007年 当時82歳の母親にカミングアウト。非難することなく、愛情を持って喜びを分かち合ってくれたが、50年間「息子」であったこともあり、「受け入れるのに時間をちょうだい」とも言われる。パートナーの男性とも巡り会い、親好を深めていった。

前妻には息子たちと会うことや性別を変えたことを話すことも拒絶されていたが、翌年、次男が18歳になったタイミングで、2人の息子に性別を変えたことを伝える。次男は「自分の父親が男性とつき合っているなんて」と狼狽するも、徐々に現実を受け入れる。

運転免許の性別を女性に変更、Los Angeles の裁判所で女性であることの証明書を取得。2012年には、10年ほど会えないでいた息子たちと、メモリアル・デー(5月25日)の連休にオハイオ州クリーブランド(前妻の両親と共に彼らが暮らしていた街)で再会する。翌年、一緒に暮らしていたパートナーが死去。わずかだが遺産も残してくれて非常に感謝している。

そして、新しい人生を手に入れた彼女は、新たな活動を開始する。 そう、LGBTQ のための活動だ。

 

  現在、そしてこれから。彼女が伝えたいこと

今は、93歳になる認知症の母親とシカゴの西部の街、ネイパービルにて同居して静かに生活を送っている。 Evaが自分自身を取り戻してからの活動は目を見張るものがある。2008年 activistとして行動開始(友人に推されて行った教会でのスピーチが、ブログに収録)。

Eva-Genevieve! ブログ「living transgender」

プロフィール

  LGBT を保護する法制度は、イリノイ州は進んでいる。カリフォルニア、ニューヨーク、そしてイリノイは先進的。あとはそれぞれの人の受け取り方の問題がある。

法律は州により様々で、例えば州によっては出生証明書の性別を性転換手術なしに変更することもできる。イリノイ州は、議会では審議されており、現在州知事のサインを待っているところだと言う。

米国は州により法律が様々なので混乱することがある。ノース・カロライナ州などのように、生まれた時の性別に基づいてトイレを使用しないと法に触れる州もある。そのため、性別移行中のトランスジェンダーは仕事での出張や休暇での行き先にも気を配らないといけない。

「トランプ政権になってから状況は悪化しました。今だったらカミングアウトを躊躇したかもしれないです。

もしかしたら人類はこのジェンダーの問題であまりにも早く進みすぎたのかも。今その揺り戻しが起こっているのかもしれません。」

イリノイ州はシカゴ南部で凶悪な犯罪が頻発している。貧困によるものか、人種なのか、犯罪集団の問題か、とにかく銃撃が毎日のようにあり、トランスジェンダーの人々も差別や暴力の危険にさらされている。だからこそ教育が必要と力強く話してくれた。

彼女は、2年前にネイパービルに移ってきてから、地元LGBTQ グループのオーガナイザーをスタートした。活動の一環として州都スプリングフィールドまで請願に出かけることもある。

   

  波瀾万丈なこの62年間を振り返って、どう感じますか?

「自分の性を自覚した時に、精神的に覚醒しました。今まで自分が否定を強いた真実がすべて明らかになった気がします。

背丈があり、肩幅もがっしりしている自分の体型を見れば誰の目にも明らかだし、もう隠しても仕方がない。だったらかえって外に出て世界を変えるしかないと思いました。

 

『Live your faith.』

  信仰も支えです。

自分はすべてこのまま神に創られたと思っています。

性別を変えて新たな人生を生きることで、自分は信仰を取り戻し、とてもハッピーです。それに一番驚きました。生きていることが、今ものすごく嬉しいです。

  今は母親の介護も大変だが、それ以上に自分自身として誰にも遠慮することなく生きている今日に感謝している。

彼女の車にもトランスジェンダーフラッグのシールが誇らしげに輝いていた。